「奈良を正しく伝えたい」海龍王寺・石川重元氏の情熱

奈良のヒト

海龍王寺は、奈良、旧平城宮の東に位置する真言律宗のお寺。イケ住(イケてる住職)と呼ばれたり、大立山まつり(奈良ちとせ祝ぐ寿ぐまつり)の実行委員会会長も務められている同寺のご住職・石川重元さんに、「住職や奈良にまつわる活動をどのような考えで進められているか」をお聞きしました。話の根底に流れる「滅失」というキーワードに心が打たれます。

寺社経営と「よどみと滅失」

重元さんは海龍王寺で生まれ、種智院大学、仁和寺で修行を経た後に、海龍王寺の住職になられました。住職はお寺の経営者とも言えることから、まずは寺社の経営について考えをお聞きしました。

『檀家さんからのお布施が収益源のお寺もありますが、海龍王寺は拝観料が主な収益源です。それを使いながら境内の維持管理を行っています。お寺も、企業と同じように目標があったほうが良いと思う。目標があることで、企業も努力をする。お寺も、目標を持ちながら、どうすれば来ていただけるのかを考えると良いと思います。そうしないと、「よどむリスク」があります。』

サトタケは「よどむリスク」という言葉が気になったので、どういうことなのかを重元さんにお聞きしました。すると、重元さんは、ご自身が若かった頃の体験を語ってくださいました。

『海龍王寺はそこそこ名の知れたお寺だったので、お寺側が努力しなくても参拝者が参拝に来てくださいました。ただ、そのことに甘えてしまい、草や木は伸び放題で、手入れもしていませんでした。ある時、テレビで他の寺と一緒に海龍王寺が紹介されたのですが、海龍王寺だけコメントしてもらえなかった。手入れが行き届いていなかったので、コメントのしようがなかったのだと思います。』『住職をやっていると周りの人が持ち上げてくれますから勘違いが生じ、本当はお寺の魅力で参拝者がお見えになっていたのに、自分のやり方で上手くいっていると思っていました。』

ただ、重元さんが「手入れが行き届いていない」という言葉ではなく「よどむ」という言葉を使ったことが気になっていたので、そのことを質問。

『よどむ、というのは、入っても来ない、出ても行かない状態のこと。自分のお寺の情報を外に発信しない、お寺の外の情報を得ようとしない。それが続くとお寺も滅失する。滅失とは跡形もなく無くなることです。綺麗な沼だって、積もる落ち葉の掃除をずっとしないと、跡形もなく消えてしまいます。』

重元さんの意識の根底には、寺が廃れてなくなること(廃寺)への危機感があったようです。

『だから、現在は、企業で言うところの営業努力を頑張っています。特に情報を発信することを意識しています。宗教者としてどう考えているかをSNS等で日々発信、お寺の催し等もリアルタイムで発信しています。』

奈良と「綺麗な基礎」

重元さんは、奈良の大立山まつり(奈良ちとせ祝ぐ寿ぐまつり)の実行委員会会長を2019年と2020年の二期、勤められました。

サトタケは重元さんが関係しているとは知らずに(実は、最後に紹介する杉本さんに誘われたのですが)、祭りの二日目の最後にちょっとだけ、遊びに行きました。高取町の翁鍋も美味しかったけれど、特に、クロージングイベントの朱雀門に立つ天平人たちと、そのバックの天地雅楽さんの演奏にすごく感動。

重元さんに、そういった「奈良を伝えること」の背景をお聞きしました。

『例えば自動車なら、こんなカッコイイ自動車がある、というのがかつての宣伝だったと思います。でも今は、乗る体験やストーリーに素敵さを感じる時代。お寺だって、このようなお寺があるという表面的な宣伝ではなく、その歴史やストーリーまで伝えないとダメだと思うんです。それは奈良についても同じ。』

『皇居で行われている儀式も、その原点は平城京にある。このような経緯やルーツがあることで(日本に住む)自分たちがいる。大立山まつりもただ宣伝するだけではなく、どんな意味で祭りをしているのかを伝えたい。』

冬の奈良を盛り上げる目的で奈良県主導でスタートした大立山まつりですが、立ち上げの当初はその意味は十分に練られてこなかった。重元さんはその意味を考え、以下のように奈良の祭りを日本の伝統的な祭りになぞらえて整理、これらを説明するチラシも作成されています。

春の「平城京天平祭」は、朝賀の儀
夏の「天平たなばた祭り」は、乞巧奠
秋の「みつきうまし祭り」は、新嘗祭
冬の「奈良ちとせ祝ぐ寿ぐまつり(※)」は、御斎会
※大立山まつり

重元さんは大立山まつりの企画に際し、時代考証のできる人材も何名か交えて企画されています。

『今後、綺麗な基礎を作っていきたい。歴史的なことも検証して、この行事はこれに基づいて行っている、ということを丁寧に説明できるようにしたい。』重元さんは、そう語ります。

綺麗な基礎とは、しっかりと検証された歴史的なストーリー。寺はただの建築物でなく、イベントもただの賑わいの場ではない。そこには現代人も心を惹かれるストーリーがあるはずである。それを主催者側は理解し、企画の細部に宿らせるべき。重元さんはそのように考えていらっしゃるのだと思います。

海龍王寺も、その歴史のストーリーが分かるように漫画を準備されていました。良かったら、こちらもご覧ください。

海龍王寺のウェブページはこちら

根底にある「憤り」

上記のような活動をしている根底にどんな感情があるのだろうと疑問に思い重元さんに質問したところ、それは「憤り」だとおっしゃっていました。

『まっとうに評価されてしかるべき人が評価されない、ということが許せないんです。小さくても評価されてしかるべきお寺がある。平城宮跡だってもっと評価されてしかるべき場所。それらの価値を理解せず、ないがしろにすることへの憤りがあります。』

『奈良の大きなお寺に比べると、海龍王寺は小さいお寺です。そしてどうしても、大きい寺に比べると評価は低い。そういったことに対する反骨心が根底にあると思います。他の小さいお寺にもそういう思いはして欲しくない。そして、小さいお寺は時代の波に翻弄されがちで、波に呑まれて立ち行かなくなった結果、滅失してしまい「○○寺跡」のようなものと化してしまう。』

重元さんの心の奥底には「滅失への危機感」があり、弱い者たちの滅失を避けるために「評価されてしかるべき者を正当に評価し、発信していく」という使命感があるのだとサトタケは理解しました。サトタケもそんな正当な評価・発信に少しでも役立てるよう心が引き締まった次第です。重元さん、貴重なお話し、ありがとうございました。

海龍王寺の住職・石川重元さん(左)と、重元さんを紹介して下さった杉本康一さん(右)
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