奈良が簡単に分かる6つのお話

奈良コラム

奈良は京都よりも古い、日本最古の都(平城京)が存在した場所。しかし、奈良の全体像はあまり知られていないかもしれません。本ページでは歴史や産業も含めた奈良の全貌をさくっと把握できるよう、奈良をミルフィーユのように6つの層に分けて理解する方法をお伝えします。

Layer1(地形) ・・奈良盆地と山々

歴史や文化に先立って、まずは奈良県の地形を簡単に確認します。奈良の南半分は切り立つ山々を擁する山岳地帯。そこは、温泉、大自然のアクティビティを楽しめる場所で、パワースポットとしても有名です。一方、平城京をはじめとした奈良の歴史の表舞台となった場所は、奈良の北西部にある奈良盆地に集まっています。

奈良盆地の南端に東西の方向で吉野川が流れていますが、この吉野川を境に南と北で地層が異なっています。南側には大きな地層が連なって、深い谷や切り立った山々が生じています。一方、北側は細かい地層に土砂が堆積しながら奈良盆地が形成されていったようです。

また、古代のミステリーとして時々語られているのですが、弥生時代あたりまで、奈良盆地には巨大な「奈良湖」と呼べる湖があったかもしれないということ。もしそれが正しいのならば、古代の大和政権は山と湖の眺めが美しい場所に建てられたのでしょうね。

ということで、奈良のミルフィーユの第一層目は「地形」でした。その地形に、5つの時代・文化の層が重なって6層を織りなしていく訳です。

Layer2(古墳~飛鳥時代)・・歩けば古墳に出会える街

奈良には古墳が約9,000基あると言われています。古墳は三世紀~七世紀に造られた大王や豪族たちの墓で、大阪や京都にも数多く存在していました。ただ奈良は、平安時代(794年~)から現在にかけて大きな都市開発がなされていないおかげで、幸い、昔のままの古墳を多く目にすることができます。例えば「山の辺の道」は、なんと弥生時代から存在するとも言われている古道なのですが、そこを歩くと、卑弥呼の墓ではないかと言われている箸墓古墳をはじめ大小さまざまな古墳が周囲の自然に溶け込みながら美しく佇んでいます。

箸墓古墳・石舞台古墳・亀石の写真はWikipediaより

飛鳥時代(七世紀)になると、石舞台古墳に代表されるような石室の墓が大王豪族たちのブームに。近畿日本鉄道「飛鳥」駅からレンタサイクルやバスで明日香村にアクセスすると、同時代の石の文化をいろいろと目にすることができます。 奈良は、悠久の時を経ても変わらない日本の原風景に触れながら、のんびりと時間を過ごせる場所と言えるかもしれません。

そして、これらの時代の中心地は、奈良盆地の南部でした。

Layer3(奈良時代)・・自由でイノベーティブな天平文化

飛鳥時代から奈良時代にかけて(七~八世紀)、日本は中国との交流が盛んでした。世の平和を願って仏教の考えがもたらされ、表情豊かな仏像がたくさん作られます。イケメンでスタイルも良い興福寺の阿修羅像、激しい表情で悪を追い払う新薬師寺のバサラ像、なまめかしい立ち姿が美しい秋篠寺の伎芸天、巨大な大仏殿に座る東大寺の廬舎那仏(とても大きい・・)。これらは全て国宝・重要文化財ですが、そのデザインは自由奔放。マクロな視点で見ると、日本文化は禅の文化を取り入れながら京都や江戸で成熟していく訳ですが、それに比べると奈良は、成熟前の自由奔放な日本文化を楽しめる国と言えるかもしれません。 日本最古の歌集である万葉集も、この時代ですね。

平城宮・興福寺阿修羅像・新薬師寺バサラ像・東大寺廬舎那仏の写真はWikipediaより

唐の長安を模して造られた平城京は奈良盆地の北部に位置しますが、そこでは中央集権的な政治体制(律令国家)や税制(租庸調)が発明されたりと、イノベーティブな政治変革が行われてきました。シルクロードの一端を担う中国からオリエンタルな品々ももたらされましたが、奈良国立博物館などで僕たちもそれらを目にすることができます。

しかし、794年に都が京都(平安京)に移ってからは平城京の土地は少しずつ田畑に置き換わり、かつての都は土に埋もれていきます。平城京が再発見・発掘されるのは、北浦定政による平城京の痕跡発見1850年)を待たなければなりません。

Layer4(観光都市)・・平安時代から続く観光国

著者もよく奈良公園あたりに遊びに行きますが、県外や海外の方も多く遊びに来られています。土日は大阪からの主要道である阪奈道路もよく混んでいますし、また、現在では海外からの旅行者も一年中たくさん見かけます。みなさん、奈良公園で鹿にせんべいをあげたり、東大寺や興福寺、春日大社を見に来ているのでしょう。ただ、そのような「奈良に行く」という風習は、実は、およそ九世紀に始まる平安時代(!)から続いているようです

東大寺廬舎那仏像の写真はWikipediaより、鹿や吉野の桜は著者撮影

平城京の都の建築物は衰退して田畑に置き換わっていったのに対し、奈良の社寺は参拝の対象としてずっと重んじられていました。特に有力な貴族であった藤原家に関係の深い興福寺や春日大社には、多くの資金が投入され、多くの人が運営に携わっていました。当時の興福寺は収入源である荘園や兵力となる僧兵を擁していました。

1180年に平家との戦により奈良の市街地は焼け野原になってしまいますが、興福寺は14年ほどで再建されました。ただ、それ以前に造られた建物や仏像などはことごとく焼けてしまい、今の奈良に残っているものはそれ以降に造られたものが多くなっています。奈良の寺社の復興には鎌倉幕府の支援も大きかったようです。

江戸時代(十七世紀)になると庶民にも余裕が生まれ、奈良の大仏だけでなく、吉野の桜、月ヶ瀬の梅なども見に来ていたようです。吉野は桜の樹海が見渡せるほどの見事な景観で、現在でも多くの観光客が訪れています。

ただ、明治以降、社寺も廃れ観光の魅力が失われてしまいました。奈良は、奈良公園を整備したり、寺院を復興させたり、古墳を発掘したり、または奈良博覧会を開くなどして、観光都市奈良の復興に力を注ぎます。その努力の結果、現在の観光の流れを取り戻すことができたのだと思われます。奈良公園周辺の神社仏閣・史跡・自然は1998年12月に古都奈良の文化財として世界遺産にも登録されました。

ちなみにですが、奈良観光のアイドルである鹿は、少なくとも奈良時代から奈良にいたそうです。筆者は少学生の頃、鹿の気に入らないことをしたようで、鹿にキックされ吹っ飛ばされた経験があります。鹿と触れ合う際は、どうぞご注意ください(笑)。

Layer5(産業都市)・・奈良の伝統産業[薬・茶・織物・書]

これまでは観光にまつわる話がメインでしたが、少し産業の話をしたいと思います。まず、奈良では古くから薬草が多く採られていました。7世紀に推古天皇が(いちご狩り、ではなく)薬草狩りをしており、当時の書物には「当帰」や「葛根」といった生薬の名前が多く見られたようです。人々も病気平癒を願い、薬師如来を拝んでいました。江戸幕府の徳川吉宗も、享保の改革の一環として全国の薬草の発見と保全に取り組み、奈良の薬草もそこで再発見されています。富山の置き薬に倣い、奈良が置き薬ビジネスを展開していた時期もありました。

墨や筆の写真はWikipediaより

他には、お茶の葉(大和茶)や茶道具(茶筅)、焼き物(赤膚焼)、蚊帳などにも使える麻の織物(奈良晒)、綿、墨・筆・和紙といった書道具などが名産で、奈良の今井町や大阪の堺といった町の商人を通して国内で広く販売されていました。現在も今井町には当時の町屋が500棟ほど残されており、昔の空気を感じながら散策を楽しめます。ちなみに、川合酒造という酒蔵があり、そこの日本酒を使ったお菓子「酒ケーキ」はすごく美味しいですよ。

そういった奈良の産業の多くは日本の近代化に伴って衰退していきますが、現在それらの魅力が再認識され、観光客向けのお土産をはじめ、新しい産業として復活しようとしています(後述)。

6つめのLayerとは・・新しい奈良の誕生

国際的な海外旅行ブーム、及び、政府主導のインバウンド誘致の結果か、奈良県を訪れる海外旅行者数も2013年あたりから右肩上がりの成長を見せています。奈良公園に遊びに行っても観光客が年々増えていることを肌で感じますし、それに呼応するかのように、ならまちの路地に新しい飲食店やお土産店も多く生まれています。

「奈良ミルフィーユ説」※6層目は現在進行形

さて、上の図はこれまでの5つの層に、新しく生まれつつある6つ目の層を加えたものになります。

奈良が政治の中心だった飛鳥時代や奈良時代(Layer2-3)、政治の中心が京都に移ってからの観光と産業の街となった千年以上の時代(Layer4-5)。それらを経た現在。観光客の増加に伴い、官民一体となった観光都市奈良の再生が始まっています。そして、それに影響を受けるように奈良の産業も変わってきているように思います。その動きが新しい6つ目の層を作っていくのだろうと著者は考えています。奈良を訪れた際は、いま見ているものがどの層のものなのかを想像しながら歩いてみても良いかもしれませんね。

画像は全て著者撮影

6つ目の層を織りなす現在の奈良の観光や産業については、今後、時間をかけて読み解いていく予定ですので、どうぞお付き合いくださいませ。

今回の読み解き手法
複数の本とウェブサイトの情報をベースに奈良の歴史・産業を6つのトピックとして編集。各トピックの理解を助けるためのインフォグラフィックを追加。
参照
「奈良 歴史地図帖(小学館)」
「改訂新版 奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック(山と溪谷社)」
「奈良県のホームページ( http://www.pref.nara.jp/ )」他
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